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教授武道

天眞正自源流兵法とは

 

「天眞正自源流兵法」は室町時代中期の永正5年、新のち天真正伝香取神道流) の飯笹長威斎に師事した源義光嫡孫の小瀬与左衛門尉長宗(のち瀬戸口備前守政基)により、創始されました。

  小瀬与左衛門尉長宗は、十二の秘太刀を編纂して尊形と名付け、「空之位」を開悟して、天眞正自源流兵法の礎を築きました。

 長宗公の嫡子、御流儀二代目の瀬戸口藤兵衛尉武蔵守重為は、島津家臣として、12代忠治~13代忠隆、14代勝久、15代貴久と四代に渡って仕え、天文19年、巌上の戦いでは「御旗指揮役」として戦陣を指揮した戦国武将でした。

  流祖以来、厳然と受け継がれた「天眞正自源流兵法」の道統は、幕末明治維新に至るまで、薩摩(鹿児島県)に於いて正しく継承され、現在の第29代上野貴史童心に至っています。

 明治・大正・昭和の動乱時代に於いては、敗戦後の日本を復興するなど多くの困難がありましたが、この尊い伝統武術を護り伝えたいという第27代上野靖之源心は、皇室出身の賀陽宮恒憲王殿下を名誉総裁に迎え、昭和39年東京浅草に尚武舘武道場を設立して一般にも門戸を開放しました。

 

 

 第28代上野景範は門戸を開放するだけでなく、その和を世界に広げ、綜合武道源心会国際連盟を創立し、実弟の第29代上野童心宗家と共に公開指導を実施しました。

 天眞正自源流兵法についての歴史を探ると、1714年(正徳4年)に書かれた『本朝武芸小』、1767年(明和4年)に書かれた『日本中興武術系譜略』に記述が見られ、1843年(天保14年)の『撃剣叢談』や同じ頃の『新選武術流祖録』などでも紹介されています。

 その他、山田次郎吉の日本剣道史、直木賞で有名な直木三十五の小説『岩見重太郎』、隆慶一郎の小説『柳生非情剣』などにも自源流が登場しています。

​ 自源流の特徴は、華麗とも言える円運動の居合術にあります。

 流れるような円運動の中で、時には真剣で巻藁や竹を両断しながら、瞬時にして納刀する姿は現代の居合道には見られない動作です。

 昭和30年代には、当時の時代劇を代表する俳優達にも指導が行われて多くの支持を得ました。

 

 

 

 ◆天眞正自源流・東郷示現流・野太刀自顕流◆

 自源流の名称は歴史的にもいくつかの呼称が存在しておりますが、マスメディアへの露出が増えるなか「東郷示現流・野太刀自顕流」等の名が広く一般に認知された事により様々な誤認情報が伝搬されてきました。
 こうした状況を鑑み、「天眞正自源流」は、嫡流相傳により途切れること無く正統に継承されていることを明らかにする必要性が生じました。

 由って、天眞正自源流兵法の嫡流として御流儀の正傳を後世へ伝える為、代々継承して来た嫡流師範家直伝の実技教示と相傳書の講義解説を行い、道統と伝統を護り伝えて参ります。

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